はじめまして!
「趣味や日常を綴っていく グダグダ妄想日記」へようこそ!
当ブログ管理人の「ツヨシ」と申します。
さっそくですが、簡単に、僕の自己紹介をさせて頂きます。
お時間のある方は、ご参照ください。
僕の趣味について
アニメ
アニメは、好きでよく見てましたね。
土曜日の夕方は「タイムボカンシリーズ」、日曜日の夜は「世界名作劇場」と、当時の小学生は必ず言っていいほど、アニメを見ていた時間帯ではないでしょうか。
いちばんアニメにはまった時期は、中学時代でしょうか。ジャンプアニメ全盛期で、「北斗の拳」「キン肉マン」「聖闘士星矢」など、お気に入りのキャラクターについて話し合いましたね。
土曜日の夕方には、サンライズのアニメをよく見ていました。小学生のころから毎年見ていて
中でも「Zガンダム」「ダブルゼータガンダム」はとくにメカがカッコよく、プラモデルも作りました。
他にもいろいろなアニメを見てきましたし、今でも見ます。あくまでも個人的な意見ですが、くだらないバラエティー番組やつまらないドラマを見ているより、よっぽど癒されます。
サイクリング
僕の一番の趣味が、サイクリングです。
考えてみると、休みの日には、ほぼ確実にどこかにでかけてます。
もはや理屈ではないんですね。
「休日はサイクリング」が、息をするのと同様に、体に染み付いて
いるようです。
だって、走ってると気持ちいいじゃないですか。
まず、嫌な事も忘れられるしそれに、あの「風を切って走る感覚」は、一度覚えると、クセになりますよ。
あと自転車のいいところは、「小回りが利く」ところにあります。
例えば、大通りを走ってて、「こっちに行ってみようかな」と思っても
自転車なら簡単に行けるわけです。
また、道を間違えても、自転車なら容易に引き返せます。
僕は、気分が落ち込んだ時は、自転車で海あるいは高台へ行きます。
景色を眺めると、最高の気分転換になります。
というか、自転車で走ってるだけで楽しい気持ちになります。
アニメとサイクリングの共通点
僕の中では、アニメもサイクリングも「癒されるもの」という感覚があります。
というか、無意識にそう感じているのだと思います。だからこそ、ずっとそばにいてくれるのだと思います。
このブログでは、僕のそんな「癒しの源」である「アニメ」や「サイクリング」そして、「日常の出来事」をお伝えして行きます。どうぞよろしくお願いいたします。
そんな僕のことをもう少し知っていただきたく、以下に略歴をまとめました。
お時間のある方はご参照ください。
略歴
わんぱくな小学校低学年
僕は、神奈川県で父母姉そして僕の、4人家族の末っ子として育ちました。
家は、父、母そして、年の離れた姉も働いていたので、いわゆる「鍵っ子」
でした。
末っ子で姉との年齢差が大きいためか、めちゃくちゃ母親にベッタリの「甘えっこ」でした。
学校では、友達もたくさんいて、休み時間や放課後に「ドッジボール」「三角ベース」「メンコ」などで、集まってよく遊んでいました。
今ではあまり聞かれなくなりましたが、当時でいうと「わんぱくな子供」でした。
他に夢中になったものといえばやはり、「ウルトラマン」「仮面ライダー」でしょうか。現在でもテレビシリーズ化されているスーパーヒーローですね。
その他にも、「スーパーカー」「ブロック崩し」「チョロQ」などでもよく遊びました。
「暗い」といわれた高学年
さて、小学校も5年生、「高学年」になりました。
クラス替えもあり、今までとは違う顔ぶれです。
ここに来て、自分の中で大きな変化がありました。
4年生までは、明るく活発な少年でしたが、5年生になり、無口でおとなしい子に変わ
って行きました。
今考えると、ターニングポイントは「いじめ」にあったように思います。
僕は、ひとりの男子をいじめていました。
くつを隠したり、ノートに落書きをしたり、今思えばなんであんなことをしたのか・・。
ある日そのことが「学級会」で取り上げられクラス中から責められました。
そのことがあってから、引っ込み思案になり「暗い」と言われるようになりました。
ちなみに、僕がいじめていた子とはその後仲良くなり、彼が転校してもよく遊んでいました。
どん底の中学時代
いよいよ中学生です。
部活は、なんとなく「卓球部」を選びました。
1年の頃は、ヘッタピで話にならなかったのですが、2年生になり、急に覚醒しました。
まあ、地区大会止まりですが、がんばったと思います。
3年生になった頃には、ほとんど顔を出さなくなっていました。
クラスでは、3年間親しい友達も出来ず、同じ部活の友達くらいとしか付き合いはありませんでした。小学校時代の友達は2,3人いましたが、違うクラスでした。
そのため、修学旅行、体育祭や文化祭などの学校行事も嫌で嫌でたまりませんでした。
軽いいじめにも合いました。
家庭では、父親の浮気が発覚し、家庭崩壊。3年の終わりころに、実家が家事に合いました。
そんな中学時代に楽しい思い出はほとんどありませんでした。
暗黒の高校時代
なんとか底辺高校に合格しましたが、そこは県内では有名なヤンキー高校でした。
同じ高校に入った同級生も、見事に「高校デビュー」を果たしましたが、僕には度胸がなくできませんでした。いわゆる「暗い」生徒です。
2年生になってしばらくした頃には、そんな僕でもまわりに影響され、「Gジャンにボンタン」という、ちょっとだけ悪い恰好をするようになりました。
正直、「ツッパリ」にたいして、少なからず憧れもありました。
そしてこのころから、学校を遅刻早退そして欠勤が増えて行きました。
友達もひとりできました。アニメや漫画、ゲームで気が合いました。
そして、この友達とは、高校卒業後もしばらく遊んでいました。
遅刻早退そして欠勤を繰り返しながらも、なんとか卒業できました。
しかしそれは、担任の先生が気にかけてくれたおかげでもあるので、感謝しています。
ただ、事情があり卒業式には参加できませんでした。
そしてやはり、いい思い出は作れませんでした。
フリーター人生の始まり
専門学校と古本屋アルバイト
高校を卒業後、「アニメーターの専門学校」に通い始めました。
高校時代から、アニメの世界に興味を持つようになり、この道を選びました。
数ある中からその専門学校を選んだ理由は、「授業が週一回だけ」だからです。
つまり、「週に6日は遊んでいられる。」ということです。しかも、授業料は親に出してもらうという、クズっぷりです。
そんな「クズ」な僕が、近所の古本屋でアルバイトを始めました。
同系列の店舗をまたぎ、トータルで6年間働きました。
ちなみに、専門学校は無事?卒業できましたが、アニメの仕事に就く気持ちはありませんでした。
ミニバンで配送と営業
さて、古本屋を辞めてからしばらくして、某大手清掃道具レンタル会社でアルバイトを始めました。仕事内容は、「モップやマットの配送」と「新規開拓の営業」です。
会社の居心地の良さもありましたが、それでも2年でやめました。
古本屋に逆戻り
配送の仕事を辞めて、次に始めたのが、またもや「古本屋」です。
ただし、以前とは全く関係のない別の経営者のお店です。
1年ほど働いて、同経営者の別店舗に移りました。トータルで9年ほど働きました。
ここでは、レイアウトなどある程度自由にやらせてもらっていたので、ストレスもそれほどなく働けましたが、店をたたむ話になり、長く務めたお店を辞めました。
仕事が続かない日々
古本屋を辞めたあとは、そこの社長の紹介で「警備会社」に勤めましたが、パワハラに合い、2か月で辞めました。
その後は、いくつか仕事をしましたが、長続きしませんでした。
根本的に、我慢、忍耐力が足りません。
病院の清掃員の仕事
転々としたあとに見つけたのが「病院の清掃」の仕事です。
始めたきっかけは、「とにかく掃除だけしてればいいんでしょ」という軽いものでした。
で、実際にやってみると、作業自体は難しくはありませんが、看護師さんとのコミュニケーションが必要となり、人の出入りが多く、ジャマにならないように気を使ったりと、思ったより大変です。
しかし、スタッフも親切で、居心地が良かったので、「これなら続けていけそう」と思いました。
ところが、8ヶ月ほど働いたころに「病院との契約が切れたから撤退する」との知らせが入り、もうここでは働けなくなりました。
会社の紹介で別の現場へ
その後は、希望者のみ会社から別の現場を紹介してもらい、そこで働きました。
前の勤務先は、自転車で30分程の距離でしたが、今度は電車で1時間半の距離となり一気に大変になりましたが、なんとか通いました。
半年ほど通いましたが、パートの女性のパワハラに合い辞めました。
上司がほかの部署を紹介してくれましたが、結局そこもすぐに辞めました。
上でも触れましたが、忍耐力の欠如が著しく、精神的にとてももろいです。
そして現在へ・・・
前職を辞めたあとは、今の仕事を本業にしました。
というのも、今の仕事は、前職の副業としてやっていました。
週2日だったのを、週5日にしてもらったわけです。
ちなみに職種は、「病院の清掃」です。
以前とは、違う会社で働いています。
そして、現職は今年で8年目を迎えました。
ブログを始めたきっかけは?
心身ともに疲れ果て・・
これまでざっと僕の人生の歩みを見ていただきました。
高校卒業後は、仕事のことがメインになってしまいましたが、趣味や興味のあることなどなど、ここでは伝えきれないことがたくさんありましたし、これから書きたいことが山ほどあります。
その辺りは、本編記事にて追々お伝えできればと思います。
ではここで、僕がこのブログを始めたきっかけを知っていただきたいと思います。
2017年の3月から僕は、現職で「副責任者」として働きはじめました。
副責任者といっても「責任者」のサポート的な役割なのですが、それでも「責任者」という看板にプレッシャーもありました。
半年ほどたった頃、心身ともにしんどくなり、泣きながら出勤する日々。
そして、「仕事行きたくない」「会社辞めたい」と思うようになり、ネットやスマホでそんな言葉ばかりを検索するようになりました。
そんな日が、ひと月ちょっと過ぎたある日、いつものように検索していると、あるサイトに出会いました。そのサイトには「辛かったら逃げてもいい」と書かれていました。
それは、書籍の内容をレビューしていたものだったのですが、読んでゆくうちに、だんだん気持ちが楽になってきました。
そして、ここで「ブログ」の存在を知りました。
そのサイトには、他にも「会社に行かなくても収入を得る方法」が紹介されていて、その中のひとつに「アフィリエイト」がありました。
アフィリエイトのことを調べていくうちに、有名な情報教材の存在を知りました。
いくつもの教材を購入
僕は、いくつかの「情報教材」を購入しました。
最初に購入したのは、この世界の人間ならおそらく誰でも知っている、超有名な教材です。
その教材は、きちんと順番に取り組めば、間違いなく稼げるとうたっていました。
僕は、「よしやるか!」と気合を入れましたが、あまりのボリュームのため、途中で挫折してしまいました。
ほどなくして、違う教材に手を出しました。
「今度こそは!」と思い取り組みましたが、また挫折しました。
次に買った教材に関しては、ページ数が少なかったので、PDFを印刷してファイルし、図書館やカフェで読みましたが、それだけで満足してしまい、結局実践せず。
それ以降は「無料情報」を集めては放置のノウハウコレクターになってしまいました。
どの教材も、手順通りに実践すれば成功できたと思うのですが、僕にはできなかった。
理由を考えたところ「仕事して収入があるから」という結論にたどり着きました。
今年の始めに、「副責任者」の役職を外してもらい、精神的にもだいぶ楽になったのでそれも関係しているのかもしれません。
ただ、今の仕事もいつま続けられるかわかりません。どちらにしろ、収入源の確保は
絶対必要だと考え、最終的にこのブログを始めました。
さいごに・・
ここまで、僕のプロフィールを読んでいただきありがとうございました。拙い文章で、読みづらい場面も多々あったかもしれませんが、この先ももっと勉強して、皆様が楽しんで頂ける記事作りをして行けるように精進して行きたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。